大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和27年(ワ)8713号 判決

原告 橋本亀次郎

被告 国

訴訟代理人 家弓吉巳 外二名

主文

被告は原告に対し金三、三六一、七五六円及びこれに対する昭和三三年一二月二一日から支払済まで年五分の割合による金銭を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

一、原告代理人は、

被告は原告に対し金七三八九、五〇〇円とこれに対する昭和二七年五月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金銭を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決と、担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

二、被告代理人は、

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求めた。

第二、原告の主張

一、原告は、埼玉県大宮市大字西本郷字定慶新田一七六三の一番地宅地(登記簿上山林)一八〇六坪に木造瓦葺平家建住居一棟四九坪四合四勺の建物(以下本件建物という)を有し、その中に原告所有の訴状添付物件目録備品欄記載の動産(以下本件動産という。以下本件建物と本件動産を併せて本件物件という。)を備付けていた。

二、原告は、被告国から、昭和二一年五月九日、連合国占領軍の接収通知による本件物件の賃借方の申込を受け、同月一三日原、被告間に連合国人員によつて使用される住宅とする目的で原告所有の右物件について賃貸借契約を結び、同日これを被告国に引渡した。もつとも、その当時においては未だ具体的な賃料の約定はなく、返還期限についても明示の約定はなかつたのであるが、右賃貸借契約の目的に照し、連合国占領軍がその人員の住居に供する必要がなくなつた時において返還する趣旨の黙示の返還期限の定めがあつたものというべきである。

三、被告国は右賃貸借後連合軍人員の住宅に適するように本件建物の改造工事を実施中、同年六月一三日、賃借人の責に帰すべき事由により本件建物の風呂場から出火し、本件物件はすべて焼失した。

四、右焼失により、被告国は本件物件を原告に返還すべき義務が履行不能となつたから、原告に対しそれに因る損害を賠償すべき義務がある。

五、その損害賠償額算定の基準時は履行期における本件物件の価額によるべきものと考える。

ところで、昭和二七年四月二八日講和条約が成立し、同月、本件建物所在地附近の、本件建物と同様、連合国占領軍の接収通知に基き被告国がその所有者から借り受けた家屋(以下このような家屋を接収家屋ということにする。)は、いずれもその必要の消滅によりそれぞれその所有者に返還せられたから、本件物件も同様その時期において返還を受け得べき筈のものであつた。

従つてその時期における本件物件の価格七三八九、五〇〇円及びこれに対する昭和二七年五月一日から支払済に至るまで年五分の法定利率による遅延利息の支払を求める。

六、仮に損害賠償額算定の基準時を原則として焼失した当時の昭和二一年六月一三日当時における価額によるべきものとしでも、次の特別事情により原告は、返還を受くべき時期である昭和二七年四月当時において本件物件を売却することによつて得べかりし利益の喪失として本件物件の該時期における価格である七、三八九、五〇〇円及びこれに対する前項の遅延利息の支払を求める。

(一)  原告が本件物件を被告に賃貸したのは、当時原告は、後述の理由に基き本件物件を売却処分する計画であつたので、被告国より本件物件を連合国占領軍用として賃借したい旨の申出があつた際、その交渉に当つた埼玉県吏員に対し此の際むしろ被告国において買上げてほしい旨要求したのであるが、同吏員は現在では買上は不可能であると言明したので、終戦後未だ日浅く秩序の回復も不充分であり、一般国民は進駐して来た連合国占領軍の使用に供するとの一言に抗する術もなかつたので被告国の申出に応じて之を賃貸したものである。

ところで原告が本件物件の売却を計画した理由は次のとおりである。

すなわち

イ、本件建物は国内において類例少ない程の宏荘な建物であり又本件動産は優秀な家具什器であつて庭園も頗る優雅で俗に大宮御殿と呼ばれる程のものであつた。原告としては戦後における国内状況に照らしてかかる豪華な建物に居住することの世間の思惑を考え

ロ、将来物価の騰貴する事は明らかであつたから生活費を節約するため,

ハ、当時戦災による建物の不足により、建物価格が急激に騰貴することは必然の状況にあり、原告もこれを明かに予見し、

ニ、原告は、戦時中奉天、天津、京城に個人資本による薬品会社を経営し隆盛であつたが、終戦とともにかかる在外資産を全て失つたばかりか、戦災により東東都旧牛込区内に有していた五棟の貸家、旧神田区内に有していた倉庫二棟等を焼失したので更生寮として他に適当な住宅を求めて本件物件を売却しその資金を以て再挙に資せんと考え

ていたのである。

ところで、前述の如く本件物件は被告国に賃貸したものであるけれども賃貸借の目的より推して講和条約が締結され連合国軍の進駐の必要がなくなつた時は返還されるものと予期して、返還を受けた時には直ちにその時の時価をもつて売却すべく固い決意をしていた。従つて本件建物が焼失さえしなかつたならば前述のように昭和二七年四月頃返還を受けて、その頃これを売却し、その価額に相当する利益を確実に取得しえた筈である。

(二)  ところで本件物件の焼失した昭和二一年六月一三日当時は、既にインフレーシヨンの傾向にあり、その傾向が益々助長される状況にあつたことは衆知のところであり、原告において本件物件を売却しうべき昭和二七年四月当時における一般物価は、実に昭和二一年六月当時の二一、四六倍になつている。

(三)  右の如く物価の騰貴によつて原告の受けた損害は、被告国の損害賠償義務の遅滞に因るものであり、被告としては、右焼失当時において将来物価の騰貴すべきすう勢にあること及び原告が本件健物の返還を受けたならばこれをその時期において売却したであろうことを知り又は知りうべかりし事情にあつたことは前記(一)(二)から容易に推察できるところである。

七、仮に前項の特別事情の存在が認められないものとするも、昭和二一年六月一三日の焼失当時より本件口頭弁論の終結した昭和三三年一二月二〇日迄の間においてはインフレーシヨンによる貨幣価値の変動は著しいものがあり、昭和三二年における一般物価は昭和二一年のそれに対し実に二二、六七倍に当る。而して前述の如く昭和二一年六月当時すでにインフレーシヨンの傾向が益々助長される事情にあつたことは衆知のところであるから被告においても当然これを予見していたものというべきである。

ところで、損害賠償請求権は、衡平の原則から社会通念上損害と認められるものを賠償するものであるからその本質は価値賠償にほかならない。インフレーシヨンによる著しい貨幣価値の変動がある場合には、価値の実質を維持するため当然これを顧みなければならない。けだし、これを顧みないことになれば、この変動により、債務者は不当に利得し、債権者は当然受くべき価値の賠償を失うこととなりかえつて衡平の理念にもとる。

かかる見地に立てば、被告は本件物件の口頭弁論終結時における価額を賠償すべきものであつて、右価額は優に本件請求金額たる七三八九、五〇〇円を超えるものであるが、その一部として右金額の範囲において、賠償を求めるものである。

と述べ、被告の主張に対し、

八、原告が昭和二六年六月被告国の機関である特別調達庁東京特別調達局に対し訴外西村勝蔵を代理人として損害賠償の請求をしたこと。原告の債権者訴外株式会社協同商会より原告が被告に対して請求しうべき損害賠償債権として、(一)四七九、〇六八円(本件建物焼失による損害賠償債権)(二)一四七、六七五円(昭和二一年六月一四日から同二七年八月末までの前記金員に対する年五分の割合による損害金)合計六二六、七四二円について、昭和二七年九月一〇日被告主張の如き債権差押及転付命令の送達を受けたことは認めるが、和解契約の成立の点は否認する。東京特別調達局は、原告に対し昭和二七年一一月一一日付で本件火災に因る補償金四七〇、三九三円と決定したから異議がなければ添付してある同意書に記名捺印の上提出せよと通知して来たが原告は右金額に不服であつたので同意書の堤出を拒否したものである。

従つて、転付命令の発せられた当時においては、本件物件の損害賠償の金額は未だ確定していなかつたものである。ところで債権の転付は、券面額で直ちに無条件で弁済的効力を発生するものであるから金額の不確実な債権は転付命令の客体たることは出来ないものであるので、右転付命令は効力を生ずる余地はなく被告の抗弁は失当である。

第三、被告の主張

一、原告の一ないし七の主張に対し、

(一)  原告の主張する一の事実中、原告がその主張の土地に本件建物を所有していたことは認める。同建物に備付けられていた動産が原告の所有であることは認めるがそれの品目、数量、規格、価格については争う。

(二)  同二の事実は認める。

(三)  同三の事実は認める。但し、本件建物の出火の場所及び原因は不明である。

(四)  本件火災により原告主張の如く、被告国が原告に対し本件物件(もつとも本件動産についてはその数量、品目等は争うものであること前述の通り。)の返還義務の履行不能による損害を賠償すべき義務が生じたこと(損害賠償額は争うも)は認める。

(五)  同五の事実中、昭和二七年四月二八日、講和条約が成立し、同月、本件建物附近の、接収家屋がいずれもその必要の消滅したことによりそれぞれその所有者に返還されたことは認める。その余の点は事う。

原告は、昭和二七年四月当時の騰貴価格によつて本件物件焼失による損害賠償額は算定されるべきであると主張するが、賃借物の滅失による損害額の算定は滅失後の価格の騰貴は、賃借人がその価格で転売したり、その他特別の事情によつて騰貴価格による利益を確実に収受し得たであろう事情が存在し、かつこれを賃借人が予見し、又は少くとも予見しうべかりし場合にのみ考慮の対象とされるにすぎない。

(六)  同六の事実はすべて争う。

原告の価格騰貴による利益を収受したであろう特別の事情も、これを被告が予見し又は予見しえたであろう事情も何ら存在しない。

すなわち、原告は接収解除後に本件物件を売却することによつてうべかりし利益の喪失として昭和二七年四月頃の価格による損害の賠償を求めるも、接収解除の時期は占領軍の一方的都合によるものであるから予測することはできないし、又原告が、本件物件焼失当時に接収解除後は、これを解除時の価格によつて売却する旨の売買契約を第三者と結んでいた事実はない。原告は、解除後は本件建物を売却するつもりであつたと主張するが、(この点は争うも)仮に原告が売却の意思を有していたとしても、かようなことは被告の全く知らないところであるし、接収解除後の売却が一般の事例であるとも云えない。

なお、昭和二一年六月頃は金融緊急措置令実施中で、政府はインフレーシヨンの防止に全力を尽し、その成果も可成り挙つていた時期であるから右の如き価格変動が予見され、又は予見されうべきものであつたとはいえない。

(七)  同七の事実のうち、インフレーシヨンの点、これを被告が予見していた点については争う。

なお、物の滅失による損害賠償請求権は、滅失のときに、その時の交換価格によつて金銭債権として確定し、その後のインフレーシヨンによる貨幣価値の変動は貨幣法上の特別の立法のなされた場合は格別、然らざる限り毫も右債権の内容を修正するものでない。

二、抗允

原告は、昭和二六年六月被告の機関である特別調達庁東京特別調達局に対し訴外西村勝蔵を代理人として損害の賠償を請求したので、同局においては、補償額を検討し、昭和二七年八月一九日頃、右西村に対し補償金が四七〇、三九三円と算定されることを内示してその諾否を問うたところ、同人から速かにその支払を受くることができれば、右金額の支払で満足する旨回答があつた。よつて、ここにおいて、原、被告間に本件火災による損害賠償額を四九〇、三九三円とする旨の和解契約が成立したものというべきである。

しかるところ、右債権については、原告の債権者訴外株式会社協同商会によつて東京地方裁判所の昭和二七年(ル)第四五三号昭和二七年九月八日付債権差押及転付命令にて、同月一〇日同会社に転付されたものであるから被告は原告に対し本訴請求金を支払うべき義務がない。

なお、原告主張事実中、昭和二七年一一月一一日付で東京特別調達局が原告に対し右補償金の支払を通知し、同意書の堤出を求めたが、原告が金額に不服をとなえて同意書の提出を拒否したことは認める。(もつとも、これより先、同年八月二九日付使用解除財産評価決定書をもつて原告に対し右賠償金の支払を通知し、同意書の提出を求めたのであるが応答がなかつたので重ねて上記の通知を発したものである。)

第四、証拠〈省略〉

理由

第一、

一、原告が埼玉県大宮市大字西本郷字定慶新田一七六三の一番地宅地一八〇六坪の地上に木造瓦葺平家建住居一棟四九坪四合四勺(本件建物)を所有していたことは当事者間に争がない。

二、成立に争のない甲一号証の一、六及び八に証人橋本キヨの証言、原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和二一年五月当時本件建物中に、訴状添付物件目録備品欄記載の動産(但し価格欄の記載は除く)(本件動産)を備付けていたことを認めることができ、上記認定を妨ぐべき何らの証拠もない。

三、原告が被告国から昭和二一年五月九日、連合国占領軍の接収通知による本件建物及びそれに備付けの本件動産(本件物件)の賃借方の申込を受け、同月一三日、原、被告間に連合国人員によつて使用される住宅とする目的で原告所有の右物件について賃貸借契約が結ばれ、同日原告はこれを被告国に引渡したこと。その際返還期限については明示の約定はなかつたが、その目的に照し、連合国占領軍に於てその人員の住居に供する必要がなくなつた時において返還する趣旨の黙示の返還期限の定めがあつたものとみるべきものであること。被告国が右借り受け後連合軍人員の住宅に適するように本件建物の改造工事を実施中、同年六月一三日本件建物の内部から出火し本件動産、本件建物は全て焼失するに至つたことはいずれも当事者間に争のないところである。

四、而して右火災の原因については明確な証拠はないのであるが、右火災により被告国が原告に対し賃借物たる本件物件の返還義務の履行不能による損害を賠償すべき義務が生じたこと自体(損害賠償額は別として)については被告の自認するところであるので、被告は原告に対し、賃借人の責に帰すべき事由により賃借物たる本件物件を前記火災により焼失せしめたことによる返還義務の履行不能による損害を賠償すべき義務がある。

第二、従つて、本件における争点は、(1) 被告の主張する転付命令の効力が認められるか(2) それが認められないとして、前記火災による損害賠償の範囲如何の二点に尽きるわけである。

一、先ず右の(1) の争点から判断を進めることにする。

原告が昭和二六年六月被告国の機関である特別調達庁東京調達局に対し訴外西村勝蔵を代理人として損害賠償の請求をしたことについては当事者間に争がないところ、被告は次のように主張する。すなわち、同局において補償額を検討し、昭和二七年八月一九日頃、右西村に対し補償金が四九〇、三九三円と算定されることを内示してその諾否を問うたところ、同人は速かにその支払を受くることができれば、右金額の支払で満足する旨の回答があつた。よつて、ここにおいて、原被告間に本件火災による損害賠償額を四九〇、三九三円とする旨の和解契約が成立したものであると。

よつて按ずるに成立に争のない甲第四号証、乙第七号証、第八号証の一、二、第九号証、第一〇ないし第一二号証、第一三号証の一ないし八に、証人石井昇(第一、二回)、同浪江八重蔵、同渡辺秀三郎、同西村勝蔵(第二回)、同観堂春雄の各証言を総合すると、東京特別調達局においては、原告代理人西村勝蔵の本件火災による損害賠償の請求を受けるや、昭和二四年一二月二七日閣議決定「使用解除財産処理要綱」昭和二五年一月二八日付特調乙発第二八号特別調達庁長官通牒「使用解除財産の処理について」昭和二六年七月一三日付特調乙発第四八二号特別調達庁長官通牒「使用解除財産処理要領の一部改正について」に則り、補償額を検討し、本件建物については同局の諮問機関である東京特別調達局不動産審議会の議を経て、焼失した本件物件(本件建物と本件動産)の補償金額を焼失当時の価格として四七〇、三九三円に算定し当時特別調達庁浦和監督官事務所に勤務していた総理府技官浪江八重蔵をして右西村に対し右金額を内示して原告の内諾を求めたところ(昭和二七年八月一九日頃、右西村は、浪江に対し電話にて即時支払を受けることができれば一応その金額で纏めるよう原告を説得することができる旨回答を寄せたのであるが、原告は結局その金額に承服できなかつたので岡本喜一弁護士と共に同年九月中頃東京特別調達局に赴き係官にその旨を伝えたことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。右認定事実に、当事者間に争のない「東京特別調達局において昭和二七年一一月一一日付で本件火災に因る補償金を四七〇、三九三円と決定したからこれに異議がなければ添付してある同意書に記各捺印の上提出せよと原告に通知したところ、原告が右金額に不服をとなえて同意書の提出を拒否した」こと及び前掲各証拠により認められる「特別調達庁の、使用解除財産の損失補償については、前掲使用解除財産処理要綱に基き、補償金額を決定しても、所有者よりの右金額の支払についての同意書を徴した上でなければその支払をしない取扱いになつている」ことを併せ考えると、被告主張の如き本件火災による損害賠償についてその額を四九〇、三九三円とする旨の和解契約が成立したものと認めることができず、ほかに右和解契約の成立を肯認するに足る証拠はない。そうだとすると、原被告間においては未だ本件物件の損害賠償の金額は確定しておらないものというべきであるから、右債権について原告の債権者訴外株式会社協同商会によつて東京地方裁判所昭和二七年(ル)第四五三号昭和二七年九月八日付債権転付命令が発せられたとするも、(右転付命令が発せられたことについては当事者間に争がない。)債権の転付は、その券面額で無条件に弁済的効果を生じさせることを目的とするものであるから(右の如き金額の不確定な債権に対しては転付命令の実体的効力は認められないものであるので、前記転付命令はその効力を生ずる余地はなく、従つて被告のこの点の抗弁は失当であるといわざるを得ない。

二、次に進んで前記(2) の争点すなわち損害賠償の範囲について検討する。

(一)  賃借物の滅失による損害算定の基準については、当裁判所は次のように考える。

賃借人の責に帰すべき理由によつて、賃借物が滅失し、その返還義務履行不能の状態を惹起した場合には賃貸借契約の解除をまつまでもなく、滅失と同時に賃借物返還義務は填補賠償債務に転換され、而してその賠償額は特別の事情のない限り(その有無については後記)滅失当時におけるその物の交換価格によるべきものと解する。原告は右の場合において損害額を賃借物の返還時期における価格を基準にすべきであると主張するが左祖し難い。

(二)  特別事情の存在

原告は、本件物件滅失による損害額算定の基準が原則として滅失当時の価格によるものとするも、原告は本件物件については被告国から接収を受ける前からこれを売却処分する計画を立てていたものであつて、被告国から返還を受けた場合においては直ちにこれを売却すべく決意を固めていたものであるから、本件物件が焼失さえしなければ、本件建物所在地附近の接収家屋がいずれもその所有者に返還せられた昭和二七年四月頃において同じく返還を受けることができた筈であり、その頃それを売却することによりその当時におけるその物の価格に相当する利益を確実に取得したであろうと考えられるところ、本件物件焼失当時既にわが国はインフレーシヨンの傾向にあり、昭和二七年四月当時における一般物価は焼失当時(昭和二一年六月)の二一・四六倍であつて、被告国においては上記のいわゆる特別事情は知り又少くとも知りうべかりし状況にあつたものであつたものであるから本件物件の昭和二七年四月当時における価格相当額である七三八九、五〇〇円を賠償すべきである旨主張し、更に然らずとするも本件物件の焼失当時から口頭弁論終結当時までの間には著しい貨幣価値の変動があるから衡平の理念に照しこれを賠償額の算定に当然顧慮されて然るべきであると主張する。

よつて按ずるに、履行不能の事由が発生した場合においては、その時における目的物の交換価格によつてその損害額を賠償するにおいては、当該履行不能より通常生ずべき損害は填補されたことになると考えられるので前にも一言した通り、原則として、履行不能を生じさせた当時におけるその物の交換価格が右損害額算定の基準になるわけである。しかしながら、その後において目的物の価格が騰貴した場合においては、これを金く顧みないで一率に右の基準を適用してゆくと、債務者は不当に賠償の義務を免れ、債権者は現実に損害の填補を受けたことにならず、債権者と債務者双方の立場を考慮して、衡平妥当な損害分担を課せんとする損害賠償本来の目的に背反することになるので右の基準をその尽適用することは妥当を欠く。然らば右の場合奴何なる標準を以つて賠償額の範囲を定めるかということになると、損害賠償制度の仕組、債権者、債務者のいずれの立場を重視するか等において観点を異にするばかりでなく、具体的事案において事情も異なり一概に割切れないのであるが当裁判所はその標準を次のように考えて見たい。

(1)  履行不能の後に目的物の価格が騰貴した場合において(後に下落した場合においても)債権者が口頭弁論終結迄の中間の一時点における騰貴価格を標準として損害賠償の請求をすることを得るには、次の二つの要件即ち

A 右履行不能がなかつたならば債権者がその目的物をその騰貴した価格をもつて売却その他の処分をなす等して、その価額に相当する利益を確実に取得したのであろう特別の事情があること。

B 債務者において価格の騰貴すべき事情があつたこと及び債権者がその時期において売却したであろうことを知り又は知りうべかりし事情のあること。

の存することを要する。

(2)  履行不能の時よりも、口頭弁論終結時の価格の方が騰貴している場合口頭弁論終結時の価格を標準として損害賠償の請求をするには次の二要件を具備するを要する。

A 履行不能がなかつたならば、債権者が口頭弁論終結時なおその目的物を保有したであろう事情のあること。

B 債務者において価格の騰貴すべき事情があつたこと及び債権者が口頭弁論終結時においてなおその目的物を保有していたであろうことを知り又は知りうべかりし事情のあること。

さてこの観点に立つて本件につき考えるに、原告の主張は先ず、本件物件の滅失後口頭弁論終結迄の間において本件物件の価格は騰貴したが、その中間の一時点である昭和二七年四月頃における騰貴価格を標準として賠償額を定むべきであるというのであるから右(1) に該当し(1) のA、Bの要件を具備しなければならないわけである。

そこで本件証拠を検討すると、証人橋本キヨ、同西村勝蔵(第一回)同秋元慶蔵の各証言に原告本人尋問の結果を総合すると、原告は戦前、戦時中にかけて海外に薬品会社を経営し相当隆盛であつたが終戦により在外資産をすべて喪失したばかりでなく、内地に在つた貸家等も戦災で殆んど喪失してしまつたので自己の住居に使つていた本件物件を売却してその代金を以つて事業の再建資金にあてたいと希望していたが大宮市の郊外にある邸宅であつたので早急に売却先が見付かるような状態ではなかつた。しかるところ、昭和二一年五月九日、被告国から連合国占領軍の接収通知による本件物件の賃借方の申込を受けたのであるが、原告の妻橋本キヨにおいて、右賃借の交渉に当つた埼玉県吏員に対して接収されればどうせ大改造されてしまうのだからむしろ国において買取つてほしい旨希望を述べた事実を認めることができ、右認定を妨ぐべき証拠はない。

右認定事実によると、本件物件の焼失した昭和二一年六月一三日当時においても原告としてはなお将来本件物件の返還を被告国から受けた時においては、これを売却したいという希望を持つていたものと推認できるけれども、本件物件は、商品或は有価証券の類の換金性に富む物件と異なり自己の住居の用に供していた家屋であり且その備品であるし、又当時においては接収解除の時期については容易に予測できなかつた頃であるので、既に売買の契約の存する等の場合は格別(本件においてはかかる契約の存在は認むべき証拠がない。)右の如き希望を有していただけでは、未だ原告主張の時期において右物件を売却し、その価格に相当する利益を確実に取得し得たるべき事情にあつたものとは認め難いのみならず、被告国において原告が本件物件の接収解除により返還を受くべき時期においてこれを売却したであろうことまで予見し又は予見し得べかりしものとは、叙上事実によるも推認し難く、ほかにそれを認むべきなんらの資料もない。従つて原告の前記主張は採用するに由がない。

原告は次に本件物件の焼失当時から口頭弁論終結当時までの間には著しい貨幣価値の変動があるからこれを賠償額の算定に当然顧慮すべきであると主張するがこれは口頭弁論終結時の価格を標準として損害賠償の請求をするものと解せられるので前記(2) に該当し、(2) のA、Bの要件を具備しなければならないわけである。

よつてこの点につき検討するに、昭和二七年四月二八日講和条約が成立し、同月本件建物附近の接収家屋がいずれもその必要の消滅によりそれぞれその所有者に返還されたことは当事者間に争がないから、本件物件も焼失さえしなければ同様その時期において原告は返還を受け得べき筈のものであつたものと推認しうるところであり、前記認定の如く、原告は、本件物件の返還を受けた場合においてこれを売却すべき希望を有していたものであるけれども、右は一片の希望に過ぎず、原告は従来これを居住の用に使用していたものであること(この点は前に認定したとおり。)本件物件は大宮市の郊外にあつて、宏大な庭園を有する邸宅であり且その備品であること(検証の結果により明か)に照し、特段の事情のない限り、原告は本件物件の返還を受けたならば、本件口頭弁論終結時(昭和三三年一二月二〇日)においてなおこれを保有していたであろうと推認し得べく、しかして、かかる事実は上来認定して来た事実に照し被告国においてもこれを予見し、または予見し得べかりしものであると推認するに難くない。而して本件物件の評価は、履行不能の生じた昭和二一年六月一三日以後口頭弁論の終結時たる昭和三三年一二月二〇日までの間において著しい価格の騰貴が見られることは、鑑定人松下清夫、同氏田喜八郎の共同鑑定の結果、鑑定人北尾春道の鑑定の結終果成立に争のない甲第六号証の一、二から見ても明かなところであり、本件火災のあつた昭和二一年六月一三日当時においてすでにわが国の経済界は大戦後の特殊事情から著しいインフレーシヨンの趨勢にあつたことは何人も否定し難い公知の事実であつて、被告国においても、当然インフレーシヨンによる価格の騰貴は予見し又は予見し得べかりしところのものである。

そうだとすると、この場合においては前記(2) のA、Bの要件を充たすことになるから、被告は原告に対し本件物件ゐ口頭弁論終結時における価格を賠償する責任があるものというべきである。

(三)  本件物件の口頭弁論終結時の価格

(1)  本件物件中、本件建物の価格

鑑定人松下清夫、同氏田喜八郎の尋問並びに共同鑑定の結果によると、本件建物の昭和二九年一月における再調達価格は金二、五四六、一六〇円である。実際耐用年数による減価率を〇・〇一二、本件建物の利用価値による増価率を〇、二を以つて相当と認められるので、これにより昭和二九年一月における本件建物の評価額を算定すると次のとおりである。

2,546,160×(1-0.012×16)×12 = 2,468,756円

(円未満切捨)(経過年数を一六年として計算)

而して昭和二九年一月以降本件口頭弁論終結時たる昭和三三年一〇月二三日にかけては、甲第六号証の一、二によるも、その間僅かではあるが一般物価の上昇が見られるから、昭和三三年一二月二〇日当時における本件建物の価格は、少くとも昭和二九年一月における評価額たる金二、四六八、七五六円を下廻ることはないと認められる。

鑑定人北尾春道の尋問並びに鑑定の結果中本件建物に関する部分は信を措き難い。

(2)  本件物件中、本件動産の価格

鑑定人北尾春道の鑑定の結果によると、本件動産の昭和三〇年一一月当時における価格は金八九三、〇〇〇円であると認めることができ、これに反する証拠はない。(但し、同鑑定人の鑑定の結果中には、三角棚内収容人形其他小物若干、ガラス棚内収容人形其地小物若干をそれぞれ金二、〇〇〇円と評価する旨とあるも、上記各物件は、本件訴状添付の物件目録には記載がないのみならず、本件全証拠によるもその明確な数量を把握できないのでこの分は控除することにした。)而して、昭和三〇年一一月以降本件口頭弁論終結時たる昭和三三年一〇月二三日にかけては、甲第六号訂の一、二によると、その間僅かではあるが一般物価の上昇が見られるから昭和三三年一二月二〇日当時における本件動産の価格は少くとも昭和三〇年一一月における評価額たる金八九三、〇〇〇円を下廻ることはないと認められる。

(3)  以上の次第であるから本件物件の口頭弁論終結時の価格は右(1) 、(2) の価格を合計した金三、三六一、七五六円を以つて相当と認める。

(四)  然らば、被告国は原告に対し右金額及びこれに対する口頭弁論終結の翌日である昭和三三年一二月二一日から完済に至るまで民法所定の年五分の遅延損害金を支払うべき義務あるものといわねばならない。よつて原告の本訴請求の右の限度において正当として認容すべく、その余はこれを排斥する外ないから理由なしとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用し、仮執行の宣言は本件においてはこれをしないのが相当と考えられるのでこれを付さない。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例